法廷意見
令和6年(許)第30号 受託者解任申立て却下決定に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件令和8年6月17日 第三小法廷決定 主文 原決定を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由 抗告代理人西潟理深の抗告理由について
1 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。
⑴ 抗告人は、平成29年5月23日当時、香港の会社であるA(以下「本件会社」という。)の発行済株式総数93億6296万8249株のうち、9億1612万7910株を保有していた(以下、抗告人の保有する本件会社の株式を「本件株式」という。)。
⑵ 抗告人は、平成29年5月23日、兄である相手方との間で、抗告人を委託者兼受益者、相手方を受託者とし、抗告人が本件株式を信託財産として相手方に信託譲渡する旨の信託契約(以下「本件信託契約」という。)を締結した。
本件信託契約には、委託者兼受益者及び受託者が、本件会社の価値の毀損を防止し、本件会社の利益の最大化を図ることを目的として、本件信託契約を締結する旨の定め(1条)、本件信託契約に係る信託(以下「本件信託」という。)の期間は本件信託契約の締結日から30年とする旨の定め(2条3項)があるほか、委託者兼受益者は、本件信託の期間中、本件信託契約を解除することはできないものとする旨の定め(15条2項。以下「本件条項」という。)がある。
⑶ 抗告人は、令和2年8月26日及び同年9月15日、相手方に対し、本件信託契約の委託者兼受益者として、信託法(以下「法」という。)164条1項により本件信託を終了させる旨を通知した(以下、この通知を「本件通知」という。)。これに対し、相手方は、同月25日、本件条項が同条3項所定の別段の定め(以下、単に「別段の定め」という。)に当たるから、本件信託に同条1項の適用はなく、本件信託が終了したとは認められない旨を通知し、その後も、受託者の任務を遂行している。
2 本件は、抗告人が、相手方に対し、法58条4項に基づき、受託者の解任を申し立てた事案である。
3 原審は、要旨次のとおり判断し、抗告人の申立てを却下すべきものとした。
本件条項は別段の定めに当たると解されるから、本件信託には法164条1項の規定が適用されず、本件通知により本件信託は終了しない。したがって、相手方が、本件通知による本件信託の終了を認めず、抗告人の意に反して受託者の任務を遂行したとしても、相手方に法58条4項所定の重要な事由があるとはいえない。
4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
⑴ 法164条は、1項において、委託者及び受益者は、いつでも、その合意により、信託を終了することができるとする一方で、3項では、信託行為に別段の定めがあるときは、その定めるところによるものとしている。同項は、社会、経済情勢の変化に的確に対応するため、信託の本質に反しない限り、信託の種類や目的に応じて柔軟に信託を設定することを可能にするという趣旨に出たものである。
そして、信託は、信託財産の所有と利益享受の分離を図り、受託者が名義主体でありながら利益を享受しないことを特色とする法制度であって、これは信託の本質を成すものである。専ら受託者の利益を図ることを目的とする信託は許されず(法2条1項)、受託者は、受益者として信託の利益を享受する場合を除き、信託の利益を享受することができない(法8条)とされていることは、このような信託の本質に由来し、この受託者の利益享受の禁止は、当事者の意思によって自由にこれを排除することは許されないというべきである。そうすると、委託者兼受益者と受託者との間で締結された信託契約に法164条1項の適用を排除する旨の条項(以下「適用排除条項」という。)が設けられた場合にこれが別段の定めとして効力を有するか否かは、このような信託の本質に照らして検討されるべきものである。
⑵ 適用排除条項を設けることは、法164条3項により、委託者兼受益者にとって本来自由に行使し得るはずの信託の終了権限を制限し、その意思に反してでも受託者による任務遂行を認める結果となり得るから、信託契約に適用排除条項を設けること自体、抽象的、類型的には、委託者兼受益者と受託者の利益相反を招来する危険のある行為であるということができる。 このような利益相反に関し、法は、31条1項において、受益者と受託者の利益が相反する行為を列挙してこれを禁止した上で、同条2項において、1項所定の利益相反行為であっても例外的に禁止が解除される事由を定めており、その1号では、「信託行為に当該行為をすることを許容する旨の定めがあるとき」を、4号では、「受託者が当該行為をすることが信託の目的の達成のために合理的に必要と認められる場合であって、受益者の利益を害しないことが明らかであるとき、又は当該行為の信託財産に与える影響、当該行為の目的及び態様、受託者の受益者との実質的な利害関係の状況その他の事情に照らして正当な理由があるとき」を挙げている。同条1項が受益者と受託者の利益が相反する行為を列挙してこれを禁止しているのは、受託者の利益享受の禁止を受けて、その危険が現実化することを予防するとともに受託者の行為の透明性を確保することをその趣旨とするものであるから、当事者の意思によっても自由に排除することができない信託の本質に根ざしたものである。そうすると、同条2項により受託者の利益相反行為の禁止が解除されるためには、上記のような信託の本質に抵触しないことが前提となるというべきである。そして、同項4号の規定はその信託の本質に抵触しないための事由を実質的に定めたものということができるから、受託者が利益相反行為をすることが許容されるためには、その趣旨に照らし、信託の目的の達成のために合理的に必要と認められることを要すると解するのが相当である。このことからすると、当事者間の合意によって、受託者が同条1項所定の行為をすることを許容する旨の信託行為の定めが設けられた場合であっても、信託の本質を脅かすときには同条2項1号によって当該行為が許容されることはなく、これが許容されるためには信託の目的の達成のために合理的に必要と認められることを要すると解すべきである。
⑶ 適用排除条項は信託契約の当事者間の合意により設けられるものであるが、その設定が委託者兼受益者と受託者の利益相反を招来する危険のある行為であることは前述のとおりであり、これによって、専ら受託者が利益を享受する事態を招き、信託の本質に抵触することがあり得るのであるから、適用排除条項が別段の定めとして効力を有するというためにも同様の要件が必要となると解される。
したがって、適用排除条項が別段の定めとして効力を有するというためには、適用排除条項が信託の目的の達成のために合理的に必要と認められることを要するというべきである。
⑷ また、仮に適用排除条項が別段の定めとして効力を有する場合であっても、受託者は適用排除条項を理由として委託者兼受益者の信託の終了の申入れを拒絶し任務を遂行することが直ちに許容されるわけではない。上記申入れの時点において、受託者がこれを拒絶して任務を遂行することについて、信託の目的の達成のために合理的に必要と認められるのでなければ、専ら受託者が利益を享受して信託の本質を没却することになりかねないからである。
したがって、委託者兼受益者が信託の終了を申し入れた場合に、受託者が適用排除条項を理由として上記の申入れを拒絶し任務を遂行することが許されるためには、受託者の当該行為が信託の目的の達成のために合理的に必要と認められることを要するというべきである。
5 以上と異なり、原審は、本件条項が適用排除条項に当たるものとみた上で、直ちに、本件条項が別段の定めとして効力を有し、相手方の任務の遂行が許容されるとして、抗告人の申立てを却下すべきものとしたものであるが、この原審の判断には、裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原決定は破棄を免れない。そして、本件条項が別段の定めとして効力を有するか否か、相手方が本件通知にかかわらず任務を遂行していることが本件信託の目的の達成のために合理的に必要と認められるか否かについて更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。なお、裁判官渡辺惠理子の補足意見がある。
補足意見(渡辺惠理子)
裁判官渡辺惠理子の補足意見は、次のとおりである。
私は法廷意見に賛成するものであるが、原決定を破棄し、本件を原裁判所に差し戻すに当たり、差戻審において考慮されるべき点を敷衍しておきたい。
法廷意見は、類型的な利益相反行為の禁止の解除を定める法31条2項と類似の状況があることに着目して、適用排除条項の解釈の実定法上の手がかりを同項4号の規定に求めるものであり、法廷意見の指摘するとおり、本件条項を適用排除条項に当たるものとみたときに、相手方が本件条項を理由として抗告人の信託の終了の申入れを拒絶して任務を遂行することができるか否かを判断するに当たっては、まず、信託の本質を踏まえて本件条項が別段の定めとして効力を有するか否かを判断し、その上で、上記の相手方による任務遂行が許容されるかを判断する必要があり、いずれも信託の目的の達成のために合理的に必要と認められるか否かが判断の基準となる。
そして、信託の目的が受益者の利益との関係で個別的具体的に定められているのであれば、これに沿って上記の判断をすることができるものの、本件信託契約では、本件信託契約の目的を、本件会社の毀損を防止し本件会社の利益の最大化を図ることとし、相手方は本件株式の処分及び管理をすることとされており、こうした本件信託契約の条項は、抽象的かつ不明瞭であり、直ちに相手方による任務遂行を決定する指針となるものとはいい難い。そうすると、本件信託の目的を形式的に本件信託契約の条項の文言のとおりであると理解して、本件条項や相手方の任務遂行(本件株式の議決権行使等)が本件会社の利益を図るために必要であると説明しさえすれば、直ちにこれらが本件信託の目的の達成のために合理的に必要と認められるものではない。
本件信託の目的は、本件信託契約の締結に至る経緯、本件信託契約の内容等を踏まえて、抗告人と相手方が本件信託によって達成しようとした実質的な効果に照らして理解されるべきものである。
また、原審の確定した事実関係等によれば、本件信託契約は、本件会社の当時の代表者を解任することにより本件会社の社会的信用の低下を防止する必要があるため、相手方が本件株式と自己の保有する株式とを併せて本件会社の議決権の過半数を行使することができるよう締結されたものであり、本件信託の終了の申入れ時には既に上記の解任がされるに至っているにもかかわらず、本件信託契約においては、本件信託の期間を30年とし、相手方は、上記の抽象的かつ不明瞭なものというべき本件信託契約の目的に従い、その裁量により、本件株式の議決権を行使するものとし、抗告人は、本件信託の議決権の行使につき相手方に対して指図権を有しないとする旨などが定められているというのである。このような本件信託契約全体の内容を前提としたとき、抗告人が本件信託の期間中に本来自由であるべき信託の終了権限を一切行使できない旨を定める本件条項は、相手方が、極めて長期間にわたり、本件会社の議決権の過半数を任意に行使するという利益を享受することを可能にするものであるから、信託の本質に抵触しないよう制限的に解釈することを要するものというべきである。
本件条項やこの本件条項に基づく相手方の任務遂行が本件信託の目的の達成のために合理的に必要と認められるか否かは、これらの観点を踏まえた検討を要するというべきである。 ( 裁判長裁判官 渡辺惠理子 裁判官 林道晴 裁判官 石兼公博 裁判官 平木正洋)